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知的財産マネジメント
トピックス 2007.10.24
日本企業における知的財産マネジメントの課題
理学博士 尾田 伸之
「知的財産戦略」は「企業全体のビジネスを成功に導くために知的財産をいかに活用するか」といった大局的な目標に関して立案すべきものであり、「権利化など、個別の活動においてどのように対処するか」という「知的財産戦術」とは異なる。本稿では、戦略的経営資源として知的財産を捉える視点を実現することにより、自社のビジネスを成功に導くための大局的な知的財産戦略が実現するための考え方、ステップを紹介する。

【はじめに】
「御社では“知的財産戦略”を立案していますか。」

この問いに対し、日本の企業やビジネス・パーソンはどのように答えるだろうか。近年、全社レベルの経営戦略において“知的財産”の重要性に対する認識が高まった結果、“知的財産戦略”の立案に積極的に取り組む企業が数多く見られ、冒頭の問いに「はい」と即答する企業やビジネス・パーソンが増えてきている。
次に、その知的財産戦略を立案した過程を顧みていただきたい。

「御社の知的財産戦略は企業戦略を実現するために策定されたものですか、あるいは知的財産に関する活動を行う部署の部門目標として策定されたものですか。」

この問いかけに対しても、前者であると即答できる企業やビジネス・パーソンはどれくらい存在するであろうか。

【大局的な視点の必要性】
知的財産に関する活動は技術、法務、財務など多岐にわたり、企業内の部門や部署間を横断する側面を有するため、各部門あるいは部署間の密な連携が欠かせない。しかし、これらの活動は各分野における高度な専門性が求められるため個別論に陥りやすく、逆に連携の困難さが増す状況に陥りやすい。このことが従来の知的財産活動を「知的財産部」や「特許部」などの特定部署の業務に押しとどめてしまい、本来は経営的な大局観に基づくべき“知的財産戦略”を、こうした関連部署の局地的な“部門目標”にすり替えてしまう状況に大きく影響している。
企業経営とその戦略における最重要の課題とは、企業活動の全体を大局的に捉えた上での成功である。しかし、局地的な知的財産活動のみを、あるいは過度に「知的財産」を強調して策定された“部門目標”は、企業全体の成功に結び付かないばかりか、逆にそうした成功を阻害する恐れもある。
端的な例では、“知的財産”を多く生み出すという目的において、局所的な観点から「特許権の取得件数」が部門目標とされた場合、取得件数の増加が成功を計る基準となる傾向が強いが、取得のためのコスト、つまり出願、審査請求、権利の維持管理には相応の金銭的な費用や人的コストを伴うため、費用対効果の悪い特許権の取得件数が増えることは、企業全体からみると利益を押し下げる「リスク要因」となる。ただし、言うまでもなく、「効果」の基準をどのように設定するかによって費用対効果の「良し悪し」も変化する。逆に短期的な費用の削減に固執することが研究開発活動への投資などを妨げ、長期的なリターンや市場の拡大機会を逃すかもしれない。こうした効果の基準は経営の判断や企業戦略に沿うものでなくてはならず、企業戦略の成功を前提とした大局的な視点を持ってはじめて、「企業経営に資する知的財産戦略」の立案が可能になる。

【戦略と戦術の履き違い】
実際には、経営の観点からは非常に脆弱な“知的財産戦略”が残念ながら散見される。こうした企業における知的財産戦略のもろさ、危うさについては従来から多くの識者が指摘しており、ある意味では昔からの議論と思われる傾向にある。しかし、実務において企業の知的財産経営を支援している立場から言えば、現場では未だ克服できていない「古くて新しい」今日的な問題である。
こうした課題に取り組む中で筆者が直面したのは、知的財産活動の各論ではなく、そもそもの“戦略”の捉え方に問題がある場合が多い状況である。
周知の通り、戦略(strategy)とは戦争行為のアナロジー(類推)から導き出された言葉あるいは概念である。戦争の本質について論じたCarl Phillip Gottlieb von Clausewitzの古典的な著作“Vom Kriege(戦争論)”において、戦略は、戦術(tactics)との違いから以下のように定義されている。
「戦術と戦略とを明確に区分することは今日一般的習慣となっている。そして何人もその区分の根拠を明瞭に知っているわけではないのに、個々の事実についてはそれがどちらに入れられるべきかについては、かなりはっきりと知っているようである。しかしこのような区分がその理由の不明なままかなり広く使用されているわけは、それなりにこの区分に深い根拠があるからにほかなるまい(中略)。われわれの区分によれば、戦術とは一戦闘中における戦闘力使用の学問であり、戦略とは戦争目的遂行のために数戦闘を使用する学問である」
この定義に従い、企業活動における戦略と戦術を考えると、戦略は「企業全体の目的遂行のために立案されるもの」であることに対し、戦術は「個別の事象に関してどのように対処するかについて立案されるもの」となる。具体的にいえば、「知的財産戦略」は「企業全体のビジネスを成功に導くために知的財産をいかに活用するか」といった大局的な目標に関して立案すべきものであり、「権利化、訴訟、係争など、個別の活動においてどのように対処するか」という局地的な目標に関するものは、いわば“知的財産戦術”と認識するべき要素である。実務において、こうした点を区別して知的財産戦略を立案している企業は果たしてどの位存在するだろうか。
局地的な知的財産活動にのみ焦点を当てたり、あるいは過度に「知的財産」を強調したりした「中身は知的財産戦術」の“知的財産戦略”が氾濫する原因の1つには、経営視点の具備や基準の設定といった本質的な課題以前の、“戦略”という格好のよい文言の安易な濫用にあるように思える。ただし、こうした“○○戦略”の濫発は、知的財産分野に特有の状況ではない。そのため、経営視点ではより深刻な阻害要因といえるかもしれない。

【知的財産マネジメントのレベル】
前項では、大局的な視点に立った知的財産戦略の必要性、「戦略」と「戦術」の違いを明確に認識・区分することの重要性を述べた。しかし、これらは戦術や細目的対応の軽視を意味するものではない。具体的な実行手段である戦術において適切な対応ができなければ、戦略的な活用は机上の空論に終わる可能性が高い。要は「戦術的対応」と「戦略的活用」の連携が不可欠である。今回はこの両者をつなぐためのロードマップの提示を試みたい。図1は、筆者の経験から想定される知的財産における戦術的対応から戦略的活用までのベスト・プラクティスを簡略化したモデル、「知的財産マネジメントの5つのレベル(分類)」である。

図1:知的財産マネジメントの5つのレベル
知的財産マネジメントの5つのレベル

【戦術的対応】
レベル1は「知的財産の保護」である。知的財産を保護、管理するための手法を確立し、その手続きを確実にする段階である。具体的には、知的財産の権利化、知的財産の漏えい防止、知的財産に関係する係争処理といった対応策の実施がこのレベルに該当する。このような活動を通じて、企業では自社の活動における知的財産の重要性に対する認識の基礎が形成される。
レベル2は、「知的財産の顕在化促進」である。知的財産保護のための具体的な手段が確立されることで知的財産への意識が醸成され、知的財産の顕在化が促進される。「社内に知的財産はまだ眠っているのではないか」、「新たに顕在化できそうな知的財産は何か」と考える段階に入る。このレベルでは、知的財産権取得を促進するためのインセンティブの導入や、知的財産の顕在化のための研究開発やブランド管理などに関連する部門へのヒアリングなどが積極的に実施される。
こうした活動は知的財産を顕在化し、知的財産の創造に密接につながるものだが、ここで注意すべき点は知的財産の顕在化が「手段(=戦術)」ではなく「目的(=戦略)」に変質する恐れが強い、という陥穽である。前項で指摘したような「企業戦略にとって有用ではない知的財産が創出される場合」はこのレベルで生じやすい。
レベル3は、知的財産の戦略的活用の前提となる「知的財産活動の効率化」が求められる段階である。その意味では、知的財産の戦略的活用と戦術対応をつなぐ、別の角度から見ると両者が混在した段階である。知的財産経営の実践、知的財産マネジメントを完成させる上で最も重要かつ困難な段階としても過言ではないだろう。現在、日本企業の多くはこの段階の克服が課題になっているのではないだろうか。
筆者が実務上、知的財産部門の方々に接してきた経験では、「企業経営に有益な知的財産活動を行いたいと考えているが、知的財産の権利化業務においては、他社の出願、権利化状況を調査するのに多くの時間を割かれ、知的財産に関する他の業務を行う余裕がない」といった声が数多く存在する。このレベルにおいては、より効果的な知的財産の顕在化を目的として、例えば「権利化すべき知的財産」と「権利化すべきでない知的財産」に関するガイドラインの設定など、高度な戦術的対応も検討される。つまり、知的財産の顕在化促進により知的財産活動の業務量が増加する中、ステップアップを実践するためには現在の業務を効率化し、余力を見出すための対応策を立案しなくてはならず、物理的にも非常に難しい局面である。しかし、こうした活動が次の戦略的な段階への進展に向けた第一歩となるため、避けては通れない段階でもある。

【戦略的活用】
レベル4は、いよいよ戦略的な知的財産マネジメントが中心となる。ここでの主眼は「戦略情報としての知的財産の把握、活用」に置かれ、「企業全体の経営戦略の立案に際し知的財産情報を活用できること」が目標となる。
レベル4において具体的な機能としては、「自社の知的財産の価値評価から有効な特許を把握すること」や、「自社の企業戦略と知的財産の保有状況との整合性を確認すること」、また「他社の知的財産権の取得状況から外部環境の変化を探ること」などが挙げられる。その副次的効果として、知的財産の創出促進効果も挙げられる。
レベル2で定義した「知的財産の顕在化促進」では、自社に潜在している知的財産を顕在化させる活動を示していた。一方、このレベル4においては、他社の技術動向や市場動向に関する情報と知的財産情報を組み合わせ、戦略的な意思決定のための経営情報として研究開発部などに提供することにより、「現在開発中テーマはどのようなビジネス展望が開けるのか」、また、「自社の研究開発のボトルネックとなっているプロセスはどのように解決すればいいのか」、「自社技術を補完するためにどのような他社権利を導入することが有益であるのか」など、多くの知見が得られる可能性がある。
レベル4の戦略情報としての知的財産情報の活用を実現することにより、経営企画スタッフ、経営陣等は自社の内部リソースや他社の動向などの経営判断に有用な知見を得ることができ、また研究開発スタッフは開発を促進するための材料を得ることができる。
レベル5は「戦略的経営資源としての知的財産の活用」であり、レベル4により戦略情報として把握した知的財産情報を活用し、具体的に自社の環境をより有利な状況に移行するため、自社の経営資源として再認識した知的財産から収益を最大化させ、また、自社のビジネスを成功させるために他社の知的財産を取得すること等を立案し、実行することなどが挙げられる。例えば、他社によって使用されている自社の知的財産からの収益獲得を目標とした場合、戦術的対応の視点に立てば、他社による侵害を発見した後、なるべく早い段階で係争処理を行い、収益を実現することが目標となるであろう。
一方、戦略的活用の視点に立てば、他社が自社技術を利用していることは、自社技術をベースにしたビジネスが拡大する好機であると認識し、相手との協調関係のもとにさらに大きな果実をえることが目標となる可能性も存在する。
レベル5において戦略的経営資源として知的財産を捉える視点を実現することにより、企業戦略に合致した、自社のビジネスを成功に導くための大局的な知的財産戦略が実現でき、ひいては知的財産活動が企業価値の向上に確実に結び付く。

【知的財産活動の現状】
誤解がないように敢えて述べると、上記の5つのレベル(分類)は企業における知的財産に関する活動を簡略化したものであり、あくまで類型の1つとして理解していただきたい。同じ業種や企業の中でも、事業や業務の内容、個々の要員の認識の違いなどで当然、差異が見られることもあるし、個別ケースに当てはめて考える場合には注意が必要である。さらに付け加えて言えば、1〜5のマネジメント段階、つまり分類や区分は、必ずしも業務の質や時間の経過、発展を意味するものではない。企業において中心的なイシュー(論点)が次のレベルに移行しても、前のレベルの活動も継続し、改善していくべきことは言うまでもないし、同じ時間軸の上で、組織の各部門が各レベルの課題に同時に取り組む場合も当然ある。
知的財産戦略には、個別の事業戦略と異なり、どちらかといえば財務戦略のような横断的な思考に基づいて策定されるべき性質があり、全社戦略との融合がより強調される。しかし、現実には、文言としての「知的財産戦略」に基づいて知的財産に関する企業活動が1部署に押し込められ、他の企業活動と切り離された議論に終始している場合が少なからず見受けられる。そのため、知的財産を統括する部署のみで実現可能なマネジメント・レベル(上記モデルではレベル3)は実現しているが、それ以降のレベルに進めていない状況が見受けられる。
レベル3までの知的財産マネジメントは局所的な事案に対応するための「戦術」であり、企業価値の向上を目的とする「戦略」はその上位において立案されるべきである。逆にいえば、現状は、最も難しい局面であるレベル3を知的財産部門にのみ負担させているおそれもある。

【おわりに】
本稿で繰り返し述べたように、知的財産マネジメントを戦略的活用のレベルにまで引き上げるためには、企業全体における知的財産マネジメントに対する大局的な知見を得ることが重要である。そのためにも、知的財産活動を専任している部署に加え、経営、財務など、従来は知的財産活動に直接関連が少なかった部署を巻き込んだ議論の展開を期待したい。それにより全社としての共通認識を得るとともに、本質的な知的財産戦略、知的財産経営の実現に向けた取り組みが始まると思われる。
以上
本稿は「日経BP知財Awareness http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/」に掲載されたものを一部抜粋したものです。
 
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