|
第2回 複式簿記の発達と期間損益計算の発生 |
 |
| ヴェネチア商人の簿記 |
| 中世のヴェネチアを始めとするイタリア諸都市の商人たちは、エジプト、シリアなどの東方地域に織物、ガラス器などの手工業製品を輸出し、また胡椒をはじめとする各種の香辛料などの東方物産を輸入していました。その航海は難破や海賊などに脅かされ、かなりのリスクを伴うものでした。すなわち、この頃の交易は「冒険的事業」だったのです。ゆえに、一つ一つの航海は独立した損益の計算が行われ、1航海1企業とも言うべき当座企業の性格を持っていたのです。商人たちは航海ごとに資金を出し合って商売を行い、儲けを分配することで、事業のリスクを分担していました。その際、損益の計算は、それぞれの航海ごとの精算という形で行われていました。 |
 |
| 期間損益計算の萌芽 |
一方、同じイタリアのフィレンツェでは若干事情が異なっていました。ここでは、より多くの資本を得るために、組合的な企業が生まれていました。つまり他人同士からなる出資者の間で儲けを厳密に分配する必要が生じ、期間を区切って企業全体の儲けを計算する必要が出てきたのです。ただ、この区切りは構成員の脱退などの理由で損益の計算をする必要ができた場合に設けられるもので、まだ定期的なものではありませんでした。
定期的な損益計算の萌芽は、16世紀オランダのアントウェルペン(アントワープ)に見ることができます。このころアントウェルペンは、イタリア諸都市に代わり、イギリスの毛織物、ポルトガルの香料、南ドイツの銀・銅の交易が集中する世界一の国際商業都市であり世界最大の金融市場でした。当時のアントウェルペンでは年4回の定期市が開かれており、商人たちの間では取引の精算がこの定期市のタイミングで行われるようになっていきました。しかし、当然ながら全ての商品が1回の市で売り切れるわけではなく、「売れ残り」という概念が非常に重要になってきたのです。これは、現在でいう「棚卸資産」に当たり、ある商品に対して期をまたいで損益を計算することを意味します。ここに、継続的な事業とそれにともなう期間損益の最初期の形態を見ることができます。しかし、損益計算の対象は事業全体ではなく個別の商品に対するもので、まだ口別損益計算の範疇にあるものでした。
この頃オランダでジャン=イムピンによって書かれた簿記書『新しい手引き』には、『スムマ』の口別損益計算に売れ残りの概念を導入し、在庫品を独立の項目として扱う簿記法が掲載されています。 |
 |
| 継続企業の誕生 |
 |
| 蘭船図 巌斐湖秀(1737〜1784) |
|
17世紀、商業の中心はアントウェルペンからアムステルダムに移りました。当時、アムステルダムは東インド貿易の中心地でした。16世紀末に、それまで東インド貿易を担っていたポルトガルの貿易基地を軍事力で征服したオランダはヨーロッパへの香辛料の供給を独占していたのです。
この頃、航海術の発達と船の大型化が進み、交易ルートが確立されて定期的な船便が行き来するようになったことで、新しい商業の形態が生まれていました。それは、一箇所に定着した商人が各地の支店や代理店と連絡を取り合いながら取引を行うという形態です。これは、それまではある地域の物産を他の地域に運んで販売し、その代金でその土地の物産を購入して持ち帰るという、場当たり的な交易が行われていたのに対して、継続的かつ計画的な取引が行われるようになった事を意味します。これにより、それまで1航海で完結していた利益計算が、ある運営母体による複数の航海の間で行われるようになったのです。こうした、東方貿易を支える莫大な資本と組織の必要性から生まれたのが、最初の株式会社と言われるオランダ東インド会社です。投資家は航海にではなく会社に対して投資を行い、会社はある期間を区切ってその利益を分配するようになったのです。それは、永続的な経営を前提とする近代的な企業の誕生でした。このような状況の下で、これまでの口別損益計算は時代にそぐわないものとなり、期間損益計算の考え方が一般化していったのです。
実は、この頃のオランダ商船が複式簿記を利用していたという記録が、日本に残っています。平戸のオランダ商館、ポルトガル追放後に商館が移された長崎出島では、オランダ商人たちが複式簿記を使っていたことが記録に残っているのです。もしかしたら、江戸時代の商人たちも、彼らを通じて複式簿記を目にしていたかもしれません。
初めて定期的な損益計算を明示的に記したのは、17世紀オランダののステヴィンの『数学の伝統』においてだといわれています。ステヴィンは同書の「皇子のための簿記」という章で、売れ残りの処理の方法について、1600年1月から同年12月までの取引を例と示しながら、年次期間損益計算の方法を説いています。ただステヴィンも、パチオリがそうだったように、その当時隆盛だった簿記法について記したにすぎません。むしろ、複式簿記は商人たち自身の手によって、実際の商いの場で発達していったのです。 |
 |
*参考文献
『リトルトン会計発達史』 片野一郎訳/同文館
『歴史にふれる 会計学』友岡賛著/有斐閣アルマ |
 |
|
|
 |