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コラム
会計と監査のしくみ
第2回 戦後の経済改革と公認会計士制度の確立
1908年(明治41年)不正経理などによって多数の逮捕者を出した日糖事件を契機に、的確な監査と会計士制度設置を求める声は次第に高まっていきました。しかし、日本の公認会計士制度の確立には戦後の経済改革を待たねばなりませんでした。
代替しきれなかった計理士法案
旧東京商工会議所
最初の公認会計士協会事務所が置かれた
旧東京商工会議所/毎日新聞社提供
最初の会計士法案は、1914年(大正3年)に第31回帝国議会で提案されましたが、会計士の社会的役割に対する認知不足や制度の導入は時期尚早との見解があったことから、政府は法案への慎重な姿勢を崩さず、実際に議論されるには至りませんでした。その後も会計士法案は資格取得の条件、罰則など追加・修正を重ねて7回提案されましたが、議会を通過することはできなかったのです。
1921年(大正10年)には我が国初の会計士団体として、社団法人日本会計士界が誕生しています。同組織は会計士業界の自治発達を目的として、会計士制度の設定を当面の目標としていました。
政府は1927年(昭和2年)、代替案として計理士法案を提出しましたが、同法は会計士制度を積極的に確立しようとするものではなく、計理士の資格を認めることで、自称会計士の取り締まりに利用しようという消極的なものだったのです。専門学校以上で会計学を修めれば無条件で資格を取得できたため、計理士の資格を持っていても実際に監査業務を行なう者は少なく、税務相談や書類作成・諸手続きの代行など周辺的な業務に留まっていました。また知識や能力水準にばらつきがあり、その人数は増加したものの、計理士は監査を行なう者として、社会的信頼を得るには到りませんでした。
戦後日本の復興に不可欠だった公認会計士制度
終戦を迎えた日本では、ポツダム宣言受諾に伴いGHQによる間接統治が開始されました。中でも財閥解体と過度経済力集中排除法は、経済民主化を実現する最大の施策でした。戦前の計理士制度は、財閥の解体に伴う株式の放出によって投資家層が大衆にまで拡大していったこと、復興のための外国資本導入が不可欠であったことから、大きな変革を迫られました。こうして公正な株式取引市場の確立と並んで、投資家保護を目的とする会計監査制度とその制度を支える高度な会計の専門家を望む声が、国内外から高まってきたのです。
1948年(昭和23年)大蔵省は、計理士法改正問題について広く意見を求めるため、計理士制度調査委員会を設置しました。委員会では新制度は米英の会計士制度に範をとる方向で一致し、数々の審議を経た後、公認会計士法案を作成するに到りました。同年7月3日、公認会計士法が成 立しました。同法は、それまで大蔵省が行なっていた試験や登録など一切の事務を会計士管理委員会が行うこと、従来の計理士の代替的な廃止、兼業や不当報酬取得の禁止、公認会計士会の法人組織としての認定など、従来の計理士制度に比べ公認会計士の独立性と責任を重んずるものになりました。
小さな芽だった公認会計士協会
こうして新しい会計士制度のもと、1949年(昭和24年)9月19日には、第一回の特別公認会計士試験が行われました。合格者達は、意見交換のための集まりを持ち、公認会計士の教養と品位の保持向上に努め、その自主独立の地位を擁護し、業務の改善進歩を図ることを申し合わせました。これが翌年10月に日本会計士協会に発展、以後の監査法人の設立や試験制度の改革などにおいて大きな役割を担っていくのです。
*参考文献
『50年のあゆみ』日本公認会計士協会
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