国際会計基準とM&Aについて 第4回2009.09.24 |
1. 世界共通の物差し
世界中の企業の財務諸表が、世界共通の物差し(会計基準)で作成される、というIFRSが目指す最終的な姿が実現した場合、クロスボーダーM&Aはその恩恵を最も大きく受けることとなる。ある買い手が、A国で上場しているa社、B国で上場しているb社のどちらかを買収しようと考えたときに、A国とB国で会計基準が異なれば、a社とb社の財務情報も単純に金額の大小では比較できず、会計基準の差異を常に考慮する必要があった。それがIFRSの適用によって財務諸表の比較可能性が格段に高まるのである。IFRSの認める範囲内でのa社とb社の会計方針の相違までは解決しないが、会計基準自体の差異はなくなるのである。またM&Aにおいては、会計基準の統一はこのようなスクリーニング段階の比較可能性を高めると同時に、PMI(買収後の統合)段階での会計方針統一のための労力の削減につながる点も、ことに買い手が上場企業である場合には重要である。
しかしIFRSをすでに適用している国々では、運用面において国ごとの差異・特徴が存在することが指摘されており、それは「方言」(local accents)と呼ばれることもある。「方言」は徐々に解消して調和化が進むという見解がある一方で、IFRSの改訂が将来も続くことや英語以外の母国語への翻訳の問題などから「方言」の解消は容易には進まない、という見方もある。使いやすい世界共通の物差しが実現するには、ある程度長期的な時間が必要と思われる。
また、現在進行しているもう一つのプロジェクトに国際監査基準(International Stadards on Auditing : ISA)の導入がある。現在は国際的な会計事務所は内部的な監査マニュアルを世界規模で統一していることをうたっているが、法規制としての監査基準としては各国で別々の監査基準が運用されている。ISAの導入により、IFRSで作成された財務諸表の監査も国際的に統一された基準で監査されることとなり、IFRSの有用性をさらに高めるであろう。
2. Cash is cash.
M&Aでは“Cash is cash.” というフレーズが使われることがある。会計基準・会計方針が相違していても、キャッシュ・フロー自体が異なるわけではないので、企業価値評価に利用されるDCFの結果には影響しない、という主旨である。IFRSの普及はこのフレーズの通りで、直接的にキャッシュ・フローの改善、企業価値の向上に結び付くものではない。
ただし対象会社がIFRSを適用していることにより、将来のPMIコストの削減が見込める、あるいは情報の透明性が高いためにリスクプレミアムの引き下げが可能となる、といった状況が生まれれば、それらはDCF法による企業価値評価の評価額を引き上げる効果がある。あるいはIFRSを適用した企業は資本市場からの信頼を集めて、IFRSを適用していない企業より株価が高くなる、という傾向が現れれば、それも企業価値を高める要因となろう。そういう状況になると、例えば投資家がIFRSを適用しているか否かを投資基準のひとつにする、といったケースも想像できよう。
3. IFRSの適用とM&Aの実際
IFRSが適用されても解決できない問題もある。それはIFRSは連結財務諸表を念頭にしているが、M&Aの案件の多くは「連結グループ全体の買収・統合」ではない、という点である。多くのM&A案件の対象は、プライベートカンパニー(非公開会社)であったり、企業の一部門(カーブアウト案件)や子会社である。それらの場合、IFRS適用による恩恵はあまり期待できないだろう。なぜなら、既に適用済みの国においてもIFRSは株式公開企業の公表財務諸表の作成のみに適用されている国が多いからである。個別会社単体の財務諸表(多くの国では単体財務諸表は一般には開示されない)は所在国の会社法に従って作成されている。日本でのIFRS適用の議論も、連結財務諸表を念頭に置いており、IFRSが適用されたのちも、子会社や部門のM&Aでは注意が必要であろう。
4. IFRS適用の真のメリット
部門別の財務数値(業績管理資料)の段階からIFRSに準拠して作成している企業は、連結財務諸表がIFRSに基づいている企業でも一部に限られると思われるが、「世界共通の物差し」というIFRSのメリットを企業が十分に活用するためには、管理会計データからIFRSに統一することが重要である。ここで、IFRS適用を競争力強化に結び付けている企業の実例を紹介したい。ある欧州系の化学品のグローバル企業は2005年のEU資本市場でのIFRS強制適用への準備を経営改革の機会ととらえ、ERP(統合業務パッケージ)の導入するとともに、管理会計データと財務会計データをIFRSベースに統一させた。そうすると、その企業グループが一部の事業の売却を計画した場合、対象が子会社であっても部門であっても、IFRSベースの数値を買い手候補に提供することが容易に可能となった。反対に買収した企業に対するPMIも、ERPとグローバルアカウンティングポリシー(後述)の導入を柱として行うべき作業が明確化されており、PMI期間の短縮に役立っている。また業績評価もIFRSベースの数値をもとにしており、グローバルなグループ全体の経営管理を透明・簡素なものとするのに役立っているようである。さらに伝票処理などの業務を集中させるシェアードサービスもグローバルで行われているが、それもIFRSで統一された情報システムの存在が不可欠である。
IFRSへの移行をサポートするコンサルティングでも、投資効果が最も高い方法として、情報システム、管理会計からIFRSベースへ移行することが提案されているが、初期投資の大きさから、その選択をする企業は多くはないようである。これはIFRSの適用という外部環境の変化を、財務報告(決算の開示)だけの問題ととらえるか、経営そのものの改革の契機ととらえるか、の問題である。IFRS (International Financial Reporting Standard) は文字通り国際“財務報告”基準であり、決算の開示の問題という印象を与えているが、グローバル企業の経営者がIFRSをどう使いこなすかという問題は、長期的視点に立つと非常に重要であるといえよう。
5. IFRS特有の注意点
ここまでIFRSのメリットを強調してきたが、IFRSの性質が、M&Aを行う上で支障となる側面もある。ここでは2点指摘したい。
1) 原則主義
IFRSは原則主義と言われる。会計用語の概念は規定されていても具体的な会計処理(仕訳例)が示されていなかったり、重要性の数値基準を認めていないところに、IFRSの特徴がある。これに対し米国会計基準や日本の会計基準は導入ガイダンスが豊富にあり細則主義と呼ばれている。原則主義では企業や監査人の実質的判断や裁量の余地が大きく、企業の会計処理は最終的にはその企業の会計監査人が合意しないと定まらない、という場面が増えることが想定されている。
そうなると、買収前にストラクチャーを検討する段階で認識された会計処理の不明点が解消されにくくなる(例えば買収後に買収対象会社の会計監査人との協議が必要となるケースなど)、M&Aを公表する時点での統合効果の予測(統合後の業績予想)が困難になる、PMIに必要となる期間が延びる、などの影響が考えられる。
2) グローバルアカウンティングポリシー
前述の原則主義が背景となっているが、IFRSを適用した企業にはグローバルアカウンティングポリシー(または会計マニュアル)の整備が必要となる。グローバル企業の実例ではその会計マニュアルが1,000ページを超えることもあり、それを作成・更新する企業の負担は決して小さくない。IFRSが細かい会計処理を規定していないために、統一した会計方針を適用し、財務報告の内部統制を適切に運用するには、企業自らが詳細な会計マニュアルを作成することが求められているのである。IFRSに準拠していても、会計マニュアルで定められる会計処理が企業間で異なることも考えられる。日本では海外子会社の会計方針を統一させる目的の、いわゆる「18号対応」(その名前はASBJ(企業会計基準委員会)の「実務対応報告第18号 連結財務諸表作成における在外子会社の会計方針に関する当面の取り扱い」から由来している)が実施に移されている。海外子会社がIFRSを適用するために具体的な会計マニュアルを準備したところもあるようである。
M&Aへの影響としては、PMIの過程で会計マニュアルのすり合わせに時間を要することが考えられる(買収側、ターゲット側の双方がIFRSを適用している場合)。あるいは、海外子会社が全て米国会計基準を採用していた、または海外子会社がなかった企業が、IFRS適用国の企業を対象としたクロスボーダーM&Aを行う場合は、IFRS準拠の会計マニュアルを新しく準備する負担もPMIの費用として考慮する必要が出てくる。
6. 日本国内のM&A案件(In-In)への影響
日本にIFRSが導入される、あるいは導入前にIFRSの早期適用の企業が増えると、日本国内のM&A案件(In-In案件)にはどのような影響が出るだろうか。一言で表すなら「国内M&A案件のクロスボーダー化」が考えられる。日本で議論されているIFRSの適用は、「選択適用、連結財務諸表のみ」という形である。そのため日本企業は、IFRSを選択する企業と選択しない企業との間で比較可能性が損なわれることになる。また「3. IFRS適用とM&Aの実際」で触れたように、カーブアウトの案件ではIFRSの適用度合いが企業によって異なり、カーブアウトの財務情報の分析が複雑化することも考えられる。したがって現在クロスボーダーM&Aで言われている比較可能性の欠如、という問題が、日本国内の問題に形を変えて残ることとなる。もっともASBJは日本の会計基準を改正してIFRSに近づける取り組み(コンバージェンス)を続けており、それが達成されれば日本国内での比較可能性の問題は限定的なものとなろう。
PMIの局面では、取得側(自社)と被取得側(ターゲット)のIFRSの適用の度合いによって、図のようにさまざまな組み合わせが生まれる。一般的に自社がターゲットよりIFRSの適用度合いが深いと、ターゲットにIFRSを適用させるための労力が必要となり、PMIのコストを高める結果となる。例えば、個別会社の財務諸表のレベルからIFRSを適用している企業が、連結財務諸表レベルのみにIFRSを適用している企業グループを取得した場合には、子会社管理の物差しを統一させるためには、ターゲット側の子会社単位でIFRSを適用させる作業が必要となる。

あるいは、適用度合いが同程度、あるいはターゲットの方が深い場合であっても、「5. 1」原則主義」のところで述べたように企業ごとにIFRSの適用内容(会計マニュアルの内容)が異なるために、すり合わせをする必要が生じるのである。
また、これはJ-SOX導入の時にも見られた現象であるが、IFRS適用に際しての導入コストを敬遠して、非公開化に向かう企業もあるだろう。しかしながら非公開化にプライベートエクイティファンドが参加し、ファンドのExitとして株式の再公開、あるいは公開企業への売却が想定されるのであれば、ExitまでにはIFRSを適用しておく必要がある。
(了)

